2006.06.20

“目覚まし時計”がくれたもの

どーも(´∀`)

急遽3限が休講になったので更新してます(ぇ

 

ほんとは金曜日に提出の地誌の課題やりたかったんだけど、

フラッシュメモリに入れて持ってきたはずなのに入ってなくてなぁ。。。

 

 

さて、前回、

俺のサークルと、高校の部活の話を書いたんだけど、

べつにずっとまわりに合わせてばっかりだったわけじゃないよ!

 

中学校のときに入ってた部活。

まぁ確かにクラスのみんなに合わせて見学に行ったけど、

そこで完璧にのめり込んだ。

みんなで入部したけど、

練習がきつくてまわりはどんどん辞めてった。

先輩のいじめが嫌で辞めた奴もいた。

 

でも、

俺はやめなかった。

最後の、最後まで。

 

 

2コ上のT先輩が、

それはそれはひどいいじめっ子だった。

どういじめるかっていえば、

気に入らない後輩を、

体育館の脇に平積みにされてるマットの上で、

 

プロレス技かける。 それも本気で(汗

 

「用があるのできょうの部活を早退したい」

と言えば、

体が動かなくなるまで筋トレさせられた。

そして、その用事にも遅刻してしまう。

 

だから、

その嫌がらせにうんざりした俺の同期は、

相次いで幽霊部員になったり、退部していった。

 

その嫌がらせというか暴行は、

俺もまた被害者のひとりだった。

とりわけ俺に対する暴力は、ひときわひどかった。

 

練習試合で隣町の中学校に遠征しては、

T先輩は相手の学校の3年生のもとに俺を連れて行って、

 

これ俺の目覚まし時計♪

と言って、俺の背中をつねる。

俺は、

そのときそのときで何か目覚まし時計っぽいことを言わなきゃいけなかった。

 

 

残念ながら、

このいじめは俺にとってプラスにもなってしまった。

 

これまで水泳とスキーを除いてスポーツとは無縁だった俺にとって、

運動部の大声でやるかけ声は、なかなかできなかった。

顧問にもよく怒られた。

声が出ない1年生数人で、

体育館の反対端から大声で校歌を歌わされた。

 

思春期のはじまりで、

女バレ女バスの前で歌わされることは、

屈辱以外の何物でもなかった。

 

それでもなかなか出るようにならなかった俺の声は、

T先輩の「目覚まし時計」をやらされているうちに、

出るようになってしまった。

 

そして、

能力は及ばずとも、

ガッツと掛け声だけは誰にも負けないアスリートになった。

後輩をやめさせたくてやってたいじめはT先輩の引退まで続いたけど、

俺は辞めようとはしなかった。

 

 

 

俺がひとまわりもふたまわりも成長した部活。

 

それは、

 

バレーボール

ポジションはライトとレフトを経験した。。

 

 

でも、

どんなにひたむきにがんばっても、

俺の才能が開花することはなかった。

 

顧問は、学生時代、

どんなにがんばっても、

その実力が認められることはなかった。

 

だから、陰の努力が認められない、

俺みたいな奴の気持ちがわかる先生だった。

 

顧問が掲げた「全員バレー」の精神。

これのおかげで、

実力不足で出れないはずの俺は、

他校では考えられないほどたくさん試合に出た。

 

でも、

千葉市の頂点に立つチームで、

俺が貢献できることなんてなかった。

 

 

バレーボールは好きだった。

身を投げ出してボールを拾うのが好きだった。

 

それに、

病気がちだった俺の体は、

バレーボールを始めてからいままで、

1度も大きな病気にかかってない。

 

中学校入学時142cmしかなかった俺の体は、

中学校卒業時には165cmにまで伸びた。

 

 

 

バレーボールは、

俺を強く、大きくしてくれた。

 

 

 

受験生に告ぐ。

 

どんなに模試の結果が悪くたって、

落ち込むことなんかないじゃんか。

 

受験まではまだまだ時間はある。

それまで、

こつこつ地道にやっていけばいいじゃんか。

 

目に見える結果ばかりを欲しがるな。

辛抱強く基礎と戦わない限り、目に見える結果なんかついてこない。

 

それに、

もしこの時期から第1志望でA判定とかとってたら、

ぶっちゃけ勉強しないで遊ぶっしょ?

俺がもしそんなに優秀な受験生だったら、

間違いなく遊ぶね。

ちょっとぐらい悪いほうが焦って勉強するよね。

 

 

 

だから、心配すんな。

 

模試が君の努力を認めてくれなくても、

ほんとに努力してる人は、

大学が認めてくれるから。

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2005.11.06

青春のインターバル

真冬の北海道生まれ千葉育ちの18歳。彼女いない歴3.5カ月。いない歴、いったいいつまで更新し続けるのか・・・

小学校では放送委員長、中学校では生徒会長を経験した。どちらも、伝統を踏み外して「改革」を起こして退陣し、何となく世に名前を残すようでかっこいい気がしていた。

要するに、単なる目立ちたがり屋だ。

そんな目立ちたがり屋は、部活でははじめはぱっとしなかった。

中学校でのバレーボールは背番号13番。バレーボールの経験者ならおわかりだろうが、13番は補欠で、大会には名簿登録されない。

それでも「全員バレー」の精神を貫く顧問のおかげで、生徒会で練習不足の俺にもそれなりに出番をくれた。

でも、顧問の期待に応えることができたのは数えるほどだった。

要するに、運動音痴だ。

そんな目立ちたがり屋で運動音痴な俺は、高校で花開いた。

俺は、弁論部に入部した。

大学の仲間の大部分は知らないし、知ってもすごさがわからないだろうが、これでも弁論なら全国優勝の経験だってある。

引退したのは、11月最後の日曜日。全国青年弁論大会in熊本。

結果は優良。この日のために、1カ月以上、受験勉強へ注ぎ込む時間を犠牲にして、がんばってきた。

だから、悔いはない。俺の弁士生命は、終わったんだ。

発表後の控え室で、何故か涙が止まらなくなった。

 

そして12月。部活を終えた俺を待ち構えるのは大学受験だった。

センター試験まで正味1.5ヶ月。一体何ができる?

 

 

―――これを読んでくれている貴方なら、どうだろう?

「もう駄目だ」そんなふうに思うこともあるかもしれない。

でも、もしそれでもなんとか間に合えば、また4月から楽しい日々が待ってるかもよ?

なら、行くしかないじゃん! やるしかないじゃん!

あと少し、どう過ごそうか?

まずは、たとえ勉強不足でも、やらないよりはやったほうがましでしょ。

だから、「受験前日まではあきらめない」って自分に誓うこと。

当日はあきらめてぼーっと受験会場向かっても、まぁ寝なきゃいいことにする。

とにかく、この誓いを果たした者が、最後に勝つ!!!!

そりゃつらいけど、そのつらいのもあとちょっとだし、それを乗り越えればまた青春が戻ってくる!!

青春ちょっとだけ休憩して勉強して、また4月から青春に復帰しようぜ☆

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